不正を暴いた代償は100万円の賠償請求
「個人情報流出を告発したら、逆に訴えられた」――このような理不尽な事態が、2025年7月、大手引越業者サカイ引越センターで現実となりました。
事件の発端は、元従業員が集合住宅のゴミ捨て場で発見した透明なゴミ袋。そこには、約430人分もの顧客情報が記載された引越しの見積書が、廃棄されていました。氏名、住所、電話番号、さらには家財のリストまで。本来厳重に管理されるべき個人情報が、誰でも見られる状態で捨てられていたのです。
隠蔽の動きと内部告発への道
元従業員らは労働組合を通じて会社に報告しました。しかし、会社側の対応は驚くべきものでした。担当者が「見積書を持参すればシュレッダーにかける」と発言し、証拠を隠蔽しようとする動きが見られたのです。
このままでは問題がもみ消される――そう判断した労働組合は、2022年5月、やむなく東京新聞に情報提供を行いました。報道を受け、サカイ引越センターはホームページに謝罪文を掲載。事実を認め、謝罪しました。
ここで問題は解決したかに見えました。
謝罪の裏で進む報復劇
しかし、事態は予想外の方向に進みます。会社は元従業員3名を「社会的な評判をおとしめる目的で新聞社に情報提供をした」として、名誉毀損にあたるとして各100万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したのです。
さらに驚くべきことに、会社の顧問弁護士と役員が元従業員の自宅を訪れ、ドアを叩くなどの行動を取っていたことも報道で明らかになりました。
会社自身が不正を認め謝罪したにもかかわらず、告発者を訴える。この矛盾した行動に、専門家からは厳しい批判の声が上がりました。
「スラップ訴訟に近い」専門家の警鐘
内部告発に詳しい淑徳大学の日野勝吾教授は「公益性が高く会社も認めており、真実相当性がある。やむなく新聞社に情報提供した手段も妥当。勇気を持って声を出した個人に精神的、金銭的負担をかけるやり口に見える。スラップ訴訟に近い」と指摘しています。
スラップ訴訟とは、批判や告発を行った相手を威圧・黙らせることを目的とした訴訟のこと。訴訟そのものに勝つことよりも、裁判に巻き込むことで精神的・経済的負担を強いることが真の狙いとされます。
公益通報者保護法の限界
日本には公益通報者保護法があります。企業の不正を告発した従業員を、解雇や不利益な取り扱いから守るための法律です。しかし、この事件は同法の重大な限界を露呈しました。
法律は「不利益な取り扱い」を禁じていますが、民事訴訟という形での報復までは明確に防げていません。法的には訴訟を起こす権利は誰にでもありますが、それが告発への報復として使われた時、内部告発者はどう守られるべきなのでしょうか。
企業文化の根深い問題
サカイ引越センターをめぐっては、今回の事件以前から労働環境に関する問題が指摘されてきました。過去には基本給の低さや長時間労働、残業代未払いなどで従業員が訴訟を起こすケースも報じられています。
今回の訴訟は、一企業の問題ではありません。「不正を告発したら、逆に訴えられる」という構図は、組織内で声を上げることのリスクを象徴しています。
萎縮する内部告発の現実
この事件が与える影響は深刻です。他の企業で不正を目撃した従業員たちは考えるでしょう。「告発すれば、自分も訴えられるかもしれない」と。
実際、日本では内部告発が諸外国に比べて少ないと指摘されています。終身雇用を前提とした企業文化、組織への忠誠心を重視する価値観、そして何より「告発者が不利益を被る」という現実が、声を上げることを難しくしているのです。
声を上げた者が守られる社会へ
サカイ引越センターの事件は、勇気を持って不正を告発した人が、訴訟という形で報復を受ける。
「正直ものが馬鹿を見る」
これが許される社会であれば、企業の不正を正すために声を上げた人が、精神的・経済的負担を強いられる現状を放置することになります。
公益通報者保護法の実効性を高める制度改革、スラップ訴訟を抑制する法整備、そして何より「正義を貫いた者が守られる」という社会でないといけない。
訴訟の行方と今後の展望
この訴訟の結果は、今後の内部告発のあり方を左右する重要な判例となる可能性があります。裁判所がどのような判断を下すのか、企業の報復的訴訟をどう評価するのか、注目が集まっています。
同時に、企業側にも問われているのは、内部告発をどう受け止めるかという組織文化です。告発を「裏切り」として報復するのか、それとも「組織を良くするための重要な情報」として前向きに捉えるのか。
私たち一人ひとりができること
この問題は、決して他人事ではありません。消費者として、私たちは個人情報を適切に扱う企業を選ぶ権利があります。働く者として、不正を見て見ぬふりをしない勇気と、声を上げた同僚を支える連帯が必要です。
正義を貫くことが報われる社会。それは、すべての人にとって安全で公正な社会になる第一歩なのです。


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