90年代の日本を席巻した4人組アイドル系ダンス&ボーカルグループの「SPEED」。
SPEEDは、小中学生で構成されたグループだったが、デビューし、わずか3年8ヶ月の活動期間で総売上500億円を超える歴史的快挙を成し遂げた。
沖縄アクターズスクールから誕生した4人の軌跡を、デビューの経緯から解散理由、そして現在の活動までシラベテミタ!
沖縄アクターズスクール×SPEED:デビューまでの道のり
安室奈美恵、MAXを輩出した名門スクール
SPEEDの物語は、沖縄県那覇市に所在する「沖縄アクターズスクール」に遡ります。安室奈美恵やMAXなど数々のタレントを輩出したこのスクールから、1992年にデビューを控えた精鋭8人グループ「BRAND-NEW KIDS」が誕生。
そこには、やがてSPEEDを形成する4人の原型がありました。
メンバー構成とデビューまでの経過
SPEEDは最終的に島袋寛子(11歳・小5)、今井絵理子(12歳・小6)、上原多香子(12歳・中1)、新垣仁絵(14歳・中2)の4人で構成されることになります。1995年11月、テレビ朝日系「THE夜もヒッパレ」内でグループ名を公募し、翌1996年1月に「SPEED」と命名されました。
同年8月5日、シングル「Body & Soul」でメジャーデビュー。当時の平均年齢は13.5歳という若年ぶりが話題を呼び、デビュー曲は60万枚以上の売上を記録。事務所社長が「30万枚売れたら褒めてやる」と語っていたほどの予想外の大ヒットとなりました。
SPEEDの絶頂期:わずか3年でミリオン連発の怪物グループ
1996-1997年:ミリオンセラー連発の快進撃
デビュー翌月(1996年10月)にリリースした2ndシングル「STEADY」は、自身初のミリオンセラーを達成。その後「Go! Go! Heaven」で初のチャート首位を獲得し、1997年の日本レコード大賞で新人賞を受賞するなど、瞬く間にトップアイドルグループへと登り詰めました。
1998年の頂点:映画化と女優デビュー
1998年には、全メンバーが主演を務めた映画「アンドロメディア」が公開。同作の主題歌「ALIVE」は日本レコード大賞で最優秀作品賞に輝きました。この年のシングル・アルバムは全てオリコンチャート1位を獲得し、グループとしての最高峰に達したのです。
圧倒的な売上実績
活動期間約3年8ヶ月間でリリースしたシングル11枚のうち、7枚がミリオンセラーを記録。アルバムを含めた総売上は約500億円、CDなどの総セールス枚数は3000万枚を超えるという、後発グループには到達不可能な記録を残しています。
なぜ人気絶頂で解散?複雑に絡む解散理由
島袋寛子が切り出した解散提議
1999年10月5日、SPEEDは電撃的に2000年3月末での解散を発表します。後年のメンバーの証言によれば、解散を強く主張したのはメインボーカルの島袋寛子でした。島袋は「声が出なくなった」ことを挙げ、思春期の多感な時期に「このまま大人になってしまっていいのか」という深刻な焦りを感じていたといいます。
4人で話し合った結果の決断
解散は一人の独断ではなく、4人が深く話し合った結果の決定でした。島袋のほか、メンバー各自が「勉強をしたい」「自分の時間が欲しい」といった個別の思いを抱いていました。当初は「休止」を検討したものの、ファンに「変な期待を持たせるよりも、スッキリと区切りをつける方が誠実」という判断から、解散に至ったのです。
未公開の背景因子
スポーツ紙の報道では、当時15歳の島袋が元ジャニーズジュニアの高橋直気と交際していたことが、解散決定の背景要因として指摘されています。この恋愛問題は事務所との対立を招き、島袋が一時沖縄へ帰郷することを望むほどの状況でした。
SPEEDメンバーの現在
島袋寛子:シンガーソングライター&女優
解散後、島袋は「hiro」名義でソロ活動を本格化。1999年8月の「AS TIME GOES BY」はオリコン2位で90万枚を売上げ、高い歌唱力を確立しました。その後、ジャズプロジェクト「Coco d’Or」を立ち上げたほか、ドラマや舞台出演、ミュージカル活動へと活動の幅を広げています。
2025年にはTBS系ドラマ「対岸の家事~これが、私の生きる道!~」にレギュラーキャストとして出演し、連続テレビドラマでの初のレギュラー出演を実現。現在も積極的にライブ活動を行うなど、第二の人生を充実させています。
今井絵理子:参議院議員
今井絵理子は解散後、ソロ歌手としての活動を展開しながら、タレント業を並行。その後政治の道へ進み、現在は参議院議員として活動しています。2015年には島袋寛子とユニット「ERIHIRO」を結成し、音楽活動も継続中。2022年の沖縄アクターズスクール大復活祭では、6年4ヶ月ぶりに3人での公式活動を果たし、多くのファンを感動させました。
新垣仁絵:芸能界を離れ、ニューヨーク留学へ
グループの最年長だった新垣仁絵は、解散後にアメリカ・ニューヨークへ留学。ダンスと絵画を学び、帰国後はイラスト集の出版やヨガインストラクターの資格取得など、多彩な活動を展開。2013年に一般男性と結婚し、芸能事務所を退所。現在は主にプライベートで人生を歩んでいるとされています。
上原多香子:女優・美容家として活動
最年少ではなく、美しさで知られた上原多香子は、ドラマや映画での女優活動を継続。その後、美容家として活動を開始し、セカンドキャリアを築いています。私生活では結婚・離婚を経験しており、現在はビジネスウーマンとしての道を歩んでいます。
SPEEDの歴史的意義:90年代アイドルシーンの象徴
小中学生という圧倒的な若年層での活動、わずか3年8ヶ月の短期活動で500億円の売上、そして人気絶頂での潔い解散。SPEEDは、日本のアイドル史において稀な存在です。
メンバーたちは解散後も、それぞれが「自分たちの人生」を大切にする選択をしました。2022年の沖縄アクターズスクール大復活祭での再結集は、ファンに涙をもたらし、25年経った現在でも「SPEED」という名前が持つ魔力を証明しています。


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