キング・カズこと三浦知良。2025年現在58歳となっても現役プロサッカー選手として活躍し続ける日本サッカー界の伝説的存在は、なぜこれほどまでに現役生活を続けるのか。圧倒的な年齢で新たな記録を打ち立てる三浦知良の人生をシラベテミタ!
プロ40年目のレジェンド:常識を覆し続ける男
1986年にブラジルのサントスでプロキャリアをスタートさせた三浦知良は、プロ40年目を迎えることになった。57歳を過ぎなお現役を続ける彼の存在は、プロスポーツ界における「引き際」という概念に対する挑戦そのものである。
2025年にテレビ東京で放送されたドキュメンタリー番組では、カズが普段は話すことのない本心を語り、「なぜ現役を続けるのか?」という問いに対してサッカー界の伝説とのある約束を明かしている。単なる延命的な現役ではなく、深い信念に貫かれた選択であることが窺える。
ブラジル時代の遍歴:5つのクラブを渡り歩いた青年時代
1982年12月に私立静岡学園高校を中退した15歳の三浦知良は、ブラジルに単身で渡航し、CAジュベントスに所属した。この勇気ある決断から40年以上にわたるサッカー人生がスタートしたのだ。
1986年1月にはサンパウロ州選手権タッサ・サンパウロ(U-21)に日本人として初出場し、同大会やキンゼ・デ・ジャウーの育成組織で活躍したことが、後のプロ契約に繋がっていった。ブラジル時代、カズが経験したクラブは、サントスFC、SEマツバラ、クルーベ・ジ・レガタス・ブラジル(CRB)、キンゼ・デ・ジャウー、そしてコリチーバFCの5つのクラブである。
1987年には、マツバラと正式契約を結ぶとレギュラーとして南部三州リーグ優勝に貢献し、同年10月にアラゴアス州のクルーベ・ジ・レガタス・ブラジル(CRB)に移籍した。その後、1989年2月にはコリチーバFCへ移籍し、チームの中心選手としてパラナ州選手権優勝に貢献している。
年俸推移が物語る栄光と現実:最高年俸2億6000万円から現在へ
三浦知良のプロキャリア初年度となる1986年の年俸は700万円だったが、1990年に1億円に達し、その後も増加を続けた。サッカーの神様から愛された男の経済価値が、どう推移したかを見ていくことは、日本サッカーブームの歴史を辿ることでもある。
1998年には三浦知良の年俸は2億6000万円に達し、これが最高額となった。当時のJリーグバブル期における、最高の評価がこの数字に集約されている。しかし時は容赦なく流れ、年俸も徐々に下降していく。
2025年現在、三浦知良の年収は推定1000万円とされている。最盛期と比較すれば4分の1以下に相当する金額である。それでもなお、1000万円という年俸を得られる現役プロサッカー選手は極めて稀である。
チームへの影響:得点でなく、存在そのものが価値
2024年7月から、新天地のアトレチコ鈴鹿での挑戦をスタートさせた57歳のカズは、ポルトガル2部クラブでプレーした約1年半で、出場わずか9試合で無得点だった。数字だけを見れば、彼の現役続行に疑問を呈する者も多いだろう。
しかし、その真価は通常の評価指標では測定できない。アトレチコ鈴鹿での三浦知良のコメント「1ゴールでも多く入れて、チームに貢献する」という言葉には、単なるスコアシートには記録されない、若い選手への指導、チームの士気高揚、そしてメディアとファンへの吸引力が込められている。
JFL(4部相当)というカテゴリーで、世界的なレジェンドがピッチに立つことの価値は計り知れない。観客動員数の増加、スポンサーシップの拡大、そして若き選手たちへの無言の教育——それらすべてが、カズの存在がもたらす価値なのである。
伝説は終わらない、ただ続くだけ
58歳で尚も現役を続ける三浦知良の人生は、スポーツの本質とは何かという問いに対する、最も雄弁な回答といえるだろう。最高年俸2億6000万円の栄光から、推定年収1000万円の現在まで——その道程は下降ではなく、別の次元への上昇なのである。
プロ40年目を迎えたキング・カズは、サッカーという競技の枠を超えた、人間の尊厳と情熱の象徴となった。彼がいつまでピッチに立つのか、その決定権は彼自身にしかない。そしてそれこそが、最後にして最高の自由なのだ。


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