困難に満ちた幼少期
1974年11月11日、カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれたレオナルド・ディカプリオ。しかし、その幼少期は決して恵まれたものではなかった。彼の両親は幼児期に離婚し、ロサンゼルスの非常に貧しい地域で母親と暮らした。
彼が住んでいたのは、ハリウッドでも最も荒廃した地区の一つだった。ディカプリオ自身、「クラックを吸ったりヘロインを注射している人たちを見て育った」と後に証言している。彼の住んでいる場所のすぐ隣には売春組織があり、頻繁に犯罪や暴力に遭遇したという過酷な環境だった。
詳細な証言として、「路地で人々が性行為をしているのを見た。5歳の時、トレンチコートを着て注射器とクラックを持った男に追い詰められたのを覚えている」と語り、これらの経験を「非常に恐ろしかった」と振り返っている。
母親の献身的な支え
このような困難な環境の中で、ディカプリオの人生を支えたのが母親イルメリン・インデンビルケンの存在だった。ドイツ系移民の家庭に生まれた母親は、秘書などの様々な仕事を掛け持ちしながら、シングルマザーとして一人でディカプリオを育て上げた。
ディカプリオは何度も、「母親の信じられないほどの支援がなければ、成長期を生き抜くことはできなかった」と語っている。
父親のジョージ・ディカプリオは地下コミック本の制作と配給で生計を立てており、離婚後も息子の人生に関わり続けた。しかし、一家にはほとんどお金がなく、ハリウッドの最も貧しい地区に住んでいたのが現実だった。
演技への道のり
厳しい生活環境にもかかわらず、母親は息子の才能を信じ、演技の道へと導いた。ディカプリオは子役として、まずテレビコマーシャルから芸能界のキャリアをスタートさせた。その後、教育番組「Romper Room」や青春ドラマ「Growing Pains(邦題:愉快なシーバー家)」などのテレビ番組に出演するようになった。
初期の映画出演は「Critters 3」(1991年)という低予算のホラー映画だったが、これが映画デビュー作となった。しかし、真の転機となったのは1993年の「ギルバート・グレイプ」での演技だった。知的障害を持つ弟アーニー役を演じた19歳のディカプリオは、その繊細で説得力のある演技でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、一躍注目を浴びた。
スターダムへの飛躍
1996年のバズ・ラーマン監督による「ロミオ+ジュリエット」で現代的なロミオを演じ、若い世代のハートを掴んだディカプリオ。しかし、彼を真の世界的スターに押し上げたのは、1997年のジェームズ・キャメロン監督作品「タイタニック」だった。
この映画は当時の世界興行収入記録を更新し、ディカプリオを一夜にして国際的なスーパースターに変えた。ジャック・ドーソン役での彼の魅力的な演技は、世界中の観客を魅了し、特に女性ファンの間で熱狂的な人気を呼んだ。
実力派俳優としての確立
2000年代に入ると、ディカプリオはアイドル的な人気から脱却し、真の実力派俳優としての地位を確立していった。特にマーティン・スコセッシ監督とのコラボレーションは印象的で、「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002年)、「アビエイター」(2004年)、「ディパーテッド」(2006年)、「シャッター アイランド」(2010年)、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」(2013年)など、数々の名作を生み出した。
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」について語る際、彼は自身の生い立ちが演技に与える影響について言及し、「非常に貧しく育った経験から、富者と貧者の格差について理解している」と述べている。
6度目のアカデミー賞ノミネートとなった「レヴェナント:蘇えりし者」(2015年)で、ついに念願のアカデミー主演男優賞を受賞。極寒の環境での過酷な撮影や、生の魚を食べるなどの徹底的な役作りが話題となった。
環境保護活動家として
ディカプリオの活動は演技だけにとどまらない。1998年、わずか24歳で「レオナルド・ディカプリオ財団」を設立し、地球の未来を確保する組織や取り組みを支援している。
財団は生物多様性の保護、海洋と森林の保全、気候変動対策に注力し、世界中の35以上の革新的な保全プロジェクトを支援してきた。活動は6つの主要分野にわたり、原生地保全、海洋保全、気候変動、先住民の権利、カリフォルニア変革、革新的ソリューションに焦点を当てている。
過去20年以上にわたって、環境保護活動家、慈善家、俳優として、気候変動という人類が直面する最大の脅威と闘うために迅速な行動の緊急性と必要性を訴え続けてきた。オバマ大統領やトランプ大統領との気候変動対策の提言から、パリ協定署名式での講演、ゴールデングローブ賞での脆弱なコミュニティへの言及まで、幅広い活動を展開している。
現在の活動
2019年の地球温暖化ドキュメンタリー「Ice on Fire」の制作とナレーションを担当した後、4年間の俳優業からの休養を経て、クエンティン・タランティーノ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でブラッド・ピットと共演し、俳優業に復帰した。
2024年には新たな取り組みも開始している。UCLAラボスクールでレオナルド・ディカプリオ奨学金基金と気候教育プログラムが立ち上げられ、次世代の若い気候リーダーの育成と地球保護教育に取り組んでいる。気候変動対策の政策を理由にカマラ・ハリス民主党候補を正式に支持し、共和党のドナルド・トランプ候補を批判するなど、政治的な発言も行っている。
現代のサクセスストーリー
現在50歳を迎えたディカプリオは、ハリウッドでも最も影響力のある俳優の一人として確固たる地位を築いている
幼少期の貧困という逆境をバネに、母親の愛情と自身の努力によって世界的スターとなったディカプリオ。現在も俳優として、そして環境活動家として精力的に活動を続け、その影響力は映画界を超えて社会全体に及んでいる。
ディカプリオの人生は、どんな困難な状況からでも夢を実現できることを証明する、現代の成功物語の象徴的存在として、多くの人々にとって希望の光となり続けている。


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