訪問介護現場を直撃する自転車取締り強化
令和8年(2026年)4月1日から、自転車の交通違反に対して「青切符制度(交通反則通告制度)」が導入されます。これまで口頭注意や指導で済んでいた違反行為が、反則金という金銭的罰則の対象となるこの法改正。一見すると交通安全の向上を目指した前向きな施策に思えますが、実は訪問介護の現場で働くヘルパーたちに深刻な影響を及ぼす可能性が高いです。
訪問介護事業所の多くは、ヘルパーの移動手段として自転車を活用しています。複数の利用者宅を1日に何件も訪問する必要があるため、小回りが利き、駐車場を探す手間もかからない自転車は、訪問系サービスにとって欠かせない移動手段となっています。
しかし、この青切符制度の導入により、時間に追われる訪問介護の現場が大きな打撃を受ける可能性があります。
自転車青切符制度とは?基本を押さえる
青切符制度は、自動車やオートバイに既に適用されている交通反則通告制度を、自転車にも拡大するものです。16歳以上のすべての自転車利用者が対象となり、約113種類の違反行為が反則金の対象となります。
反則金の額は原動機付き自転車と同程度に設定される見通しで、例えば信号無視で6,000円、一時不停止で6,000円、携帯電話使用で12,000円などが想定されています。これまでは「知らなかった」「注意されただけ」で済んでいた違反が、確実に金銭的負担として跳ね返ってくるのです。
ただし、酒酔い運転や携帯電話使用で危険を生じさせた場合などの悪質な違反については、青切符ではなく刑事罰の対象となる「赤切符」が交付され、より重い処罰を受けることになります。
なぜ訪問介護ヘルパーが特に影響を受けるのか
訪問介護のヘルパーは、1日に平均4~6件、多い日には8件以上の利用者宅を訪問します。各訪問先での滞在時間は30分から1時間程度と決められており、その間に身体介護や生活援助を行わなければなりません。そして次の訪問先への移動時間も分刻みでスケジュールが組まれているのが実情です。
このタイトなスケジュールの中で、ヘルパーたちは常に時間との戦いを強いられています。前の訪問先で利用者の体調が急変したり、予想以上に介護に時間がかかったりすると、次の訪問先への到着が遅れてしまいます。そうなると、つい焦って自転車を急いで漕いでしまい、信号無視や一時不停止などの違反をしてしまうリスクが高まるのです。
さらに、訪問中に急な予定変更の連絡が入ることもあります。事業所からの電話に対応するため、走行中についスマートフォンを確認してしまう、あるいは地図アプリを見ながら初めての利用者宅に向かうといった状況も日常的に発生します。
2024年11月から既に厳罰化されている「ながらスマホ」運転ですが、青切符導入によってさらに取締りが強化されれば、ヘルパーたちは反則金のリスクに常に晒されることになります。
反則金負担は誰が負うのか?労使トラブルの火種
青切符制度で最も深刻な問題は、反則金の負担者をめぐる問題です。自転車運転中の交通違反は、あくまでも個人の責任とされるため、基本的には運転者本人、つまりヘルパー自身が反則金を支払わなければなりません。
訪問介護のヘルパーは、時給制や登録型で働く非正規雇用の方が多く、決して高収入とは言えません。時給1,500円前後で働くヘルパーにとって、信号無視1回で6,000円の反則金は大きな痛手です。月に1回でも違反を犯してしまえば、1日分以上の給料が吹き飛ぶことになります。
一部の事業所では、業務中の交通違反について会社が反則金を負担するケースも出てくるかもしれません。しかし、それは本来個人の責任である交通違反を会社が肩代わりすることになり、法的にグレーゾーンとなる。
また、会社が負担するとなれば、それは結局のところ事業所の経営を圧迫し、最終的にはヘルパーの待遇悪化や人員削減につながる可能性もあります。
逆に、会社が一切負担しない方針を取れば、ヘルパーの経済的負担が増大し、離職者が続出する恐れがあります。すでに深刻な人手不足に悩む訪問介護業界において、これは致命的な打撃となりかねません。
訪問介護事業所が直面する3つの危機
1. 人材確保・定着がさらに困難に
青切符制度の導入により、自転車での訪問介護業務は「反則金を取られるリスクのある仕事」というネガティブなイメージが広がる可能性があります。ただでさえ重労働で低賃金と言われる訪問介護の仕事に、金銭的リスクまで加わることで、新規の求職者が敬遠するようになるでしょう。
また、現在働いているヘルパーも、「いつ違反を取られるか分からない」というプレッシャーの中で働き続けることに疲弊し、離職を考える人が増えます。実際に反則金を複数回取られてしまったヘルパーは、経済的理由から仕事を続けられなくなるかもしれません。
2. サービス提供体制の縮小
自転車での移動に反則金リスクが伴うとなれば、事業所は移動手段を見直さざるを得ません。しかし、車での訪問に切り替えようにも、駐車場の確保が困難な都市部では現実的ではありません。また、車の購入・維持費用、駐車場代、ガソリン代などのコスト増は、経営体力の乏しい小規模事業所には大きな負担となります。
結果として、自転車で効率的に回れていたエリアでのサービス提供を縮小したり、訪問件数を減らさざる得なくなる事業所が出てくるでしょう。
これは、サービスを必要とする高齢者や障がい者の生活を直撃します。
3. 過度な安全優先による時間不足
反則金を恐れて交通ルールを厳格に守ろうとすると、今度は訪問スケジュールが成り立たなくなるというジレンマが生じます。すべての信号を守り、一時停止を確実に行い、安全確認を徹底していれば、移動時間が想定よりも大幅に延びてしまいます。
しかし、訪問介護の報酬は「何分サービスを提供したか」で決まっており、移動時間が延びたからといって追加の報酬が得られるわけではありません。結果として、ヘルパーは「時間通りに到着すること」と「交通ルールを完璧に守ること」の板挟みになり、精神的なストレスが増大します。
訪問介護現場が今すぐ取るべき5つの対策
1. 移動時間の余裕を持ったスケジューリング
訪問スケジュールを組む際、従来よりも移動時間に余裕を持たせることが不可欠です。タイトなスケジュールは違反の温床になります。少し非効率に感じられても、安全運転が可能な時間設定を優先すべきです。
2. ヘルパーへの交通安全教育の徹底
青切符制度の内容、対象となる違反行為、反則金の額などを、すべてのヘルパーに周知徹底する必要があります。また、定期的に交通安全研修を実施し、危険な運転習慣がないかチェックすることも重要です。
3. 通信手段・ナビゲーションツールの見直し
走行中のスマートフォン使用を防ぐため、音声案内機能付きのナビゲーションシステムを導入したり、イヤホンでハンズフリー通話ができる環境を整えたりすることが考えられます。ただし、イヤホン使用自体も地域によっては条例で制限されている場合があるため、確認が必要です。
4. 自転車のメンテナンス強化
ブレーキの効きが悪い、ライトが点灯しないといった整備不良も違反の対象となります。事業所が管理する自転車については、定期的なメンテナンスを徹底し、ヘルパー個人の自転車を使用する場合も、点検を義務付けるなどの対応が求められます。
5. 保険・補償制度の検討
業務中の交通違反について、どのように対応するかを明確に方針化しておく必要があります。完全にヘルパー個人の責任とするのか、一定の条件下では事業所が補助するのか、あるいは共済制度のようなものを設けるのか、事前に決めておくべきです。
制度改正を求める声と業界の動き
訪問介護業界からは、青切符制度の導入にあたって、業務上の必要性を考慮した特例措置を求める声も上がっています。例えば、緊急時の対応中や、やむを得ない事情がある場合の配慮などです。
しかし、交通安全の観点から言えば、「業務中だから」「急いでいるから」という理由で違反が許されるわけではありません。むしろ、プロとして業務中こそ交通ルールを遵守すべきだという考え方もあります。
重要なのは、訪問介護という社会に不可欠なサービスが、この制度変更によって崩壊しないよう、制度設計の段階から介護業界の実情を考慮してもらうことです。介護報酬の見直しや、移動時間も労働時間として評価する仕組みづくりなど、根本的な制度改革も並行して進める必要があるでしょう。
訪問介護の未来を守るために
2026年4月からの自転車青切符制度導入は、交通安全の向上という社会全体の利益のために必要な施策です。しかし、その一方で、自転車に依存せざるを得ない訪問介護の現場には、深刻な影響を及ぼす可能性があることも事実です。
この問題を乗り越えるためには、事業所・ヘルパー・行政・利用者家族が一体となって、現実的な解決策を見出していく必要があります。単に「ルールを守れ」と言うだけでは、現場の苦悩は解決しません。
訪問介護は、高齢者や障がい者が住み慣れた地域で暮らし続けるために欠かせない社会インフラです。この重要なサービスが、交通法規の変更によって崩壊してしまうことがないよう、今から準備と対策を始めることが求められています。
ヘルパーの皆さんは、まず自分の運転習慣を見直し、違反につながる行動をしていないか確認してください。事業所の管理者は、現場の声に耳を傾け、無理のないスケジュール管理と適切なサポート体制を構築してください。そして利用者やその家族も、ヘルパーが安全に、そして安心して訪問できる環境づくりに理解を示していただきたいのです。
青切符制度の導入まで、もう時間は多くありません。訪問介護の未来を守るために、今できることを一つひとつ実践していきましょう。


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